新元号「令和」が多くの人に喜ばれているようで何よりのことですね。「万葉集」で思い出したのですが早とちり失敗談を一つ御披露に及びます。若気の至りながらも懐かしき思い出となり、今や自分では勝手に成功談とすることにしました。昭和のたしか38年 (1963)、ひとり鳴瀧の保田與重郎先生のところにお邪魔していたときのこと、「いま学校の先生で万葉集に通じ高い見識のあるのは澤瀉久孝さん・・・」というようなことを口にされた。当時こちらは中学生用の学習雑誌の編集に携わっており、毎月その巻頭言を主として大学の先生に書いていただいていたので、これはてっきり澤瀉先生を「お訪ねしてみよ」とおっしゃっているのだなと思い込み、早速、等持院の澤瀉邸へ250ccのオートバイで乗りつけました。奥様が出て来られて、ただいまは女子大へ行ってまだ帰っておりませんとのことだった。左様、澤瀉久孝先生は京都大学を定年退官されてのち京都女子大に出ておられた。それでお帰りになる時間をお聞きして再訪問した。庭に面した廊下を進むと文机に向かっておられる和服姿の先生が見えた。隣の和室で御説明し原稿のお願いをした。見本として既刊の他の先生方のものをいくつか御覧に入れたところ、しばらくすると先生はすっと立たれ、書斎から戻って来られたのを見ると、なんと、補聴器を付けておられるではないか。さては今まで聞いておられなかったのだ。それはそうだ。一面識もない若者がいきなり飛び込んできて原稿を書いてくれと言うのだから無礼千万、心優しい澤瀉先生だから聞いてくださっていたのだ。しかしともかく、見本を見て補聴器を付けて聞いてくださったのは、既刊の中に門弟三千人の佐藤春夫先生の文章や数学者の岡潔先生のものがあったのがよかったのかもしれない。機会があれば、こういう大作家、大学者の巻頭言を一本にまとめたいと思っています。澤瀉先生には3テーマ、3点を書いていただいたのですが、その内の一つは、
春過ぎて夏来るらし白妙の衣乾したり雨の香具山
を取り上げ、「来る」の語意 という題で一語を正しく理解することの大切さを述べておられます。